
創始者 山内 宥厳
やまのうち ゆうげん
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山内宥厳(やまのうち ゆうげん)
詩人 / 磐余山東光寺住職 / 楽健法・楽健寺天然酵母パン創始者
1936 年 1月14日徳島生まれ
1946 年(10歳) 大阪に移住 家具職人として家計を支え独学
1955 年(19歳) 演劇活動開始
1957 年(21歳) 詩作活動開始 同人誌 「人間」 「風葬」 「ブラックパン」 に参加
1959 年(23歳) 額縁メーカーとして独立し生計を営む
1961 年(25歳) 喘息を発症
1965 年(29歳) 日本未来派に入会 / 幸子と結婚
1970 年(34歳) 独白劇 「がらんどうは歌う」 執筆・初演
1971 年(35歳) 健康法の研究を開始 / 喘息を克服
1974 年(38歳) 太陽酵素パン (後の楽健寺酵母パン)創業 真言宗萩生寺にて得度
1976年~84年 (40~48歳)アーユルヴェーダ研究会・有害食品研究会 両事務局長兼任
1976 年(40歳) インド巡礼
1977 年(41歳) 劇団阿修羅結成 「がらんどうは歌う」 を各地で巡演
1978 年(42歳) 真言宗名峰山楽健寺を開山 / インド巡礼
1979 年(43歳) 楽健法協会設立
1981 年(45歳) 楽健寺天然酵母パンが朝日新聞に紹介される
1987 年(51歳) 高野山円通律寺に入山
1991 年(55歳) 真言宗磐余山東光寺の住職に就任
1992年(56歳) 東光寺にて密教・神智学・アーユルヴェーダ勉強会を開始 / 東京にて楽健法教室開始
1995 年~ 2004 年(59 ~ 68 歳) 日本アーユルヴェーダ学会 事務局長を歴任
2001 年~ 2022 年(65 ~ 86 歳)東光寺にて楽健法セラピスト講座を主催 / 東京水道橋・福山教室主催
2003~2011 年 (67~75 歳)「チャラカ本集総集篇」 編纂出版に尽力
2017 年(81歳)インド・バンガロールにて楽健法研修合宿
2019 年(83歳)インド・リシケシにて楽健法研修合宿
2021 年(85歳) 8月12日妻・幸子没(享年 91歳)
2022 年(86歳)9月28日没(享年 87歳)
<主な著作>
1966 年 詩集 「雨季」 東栄書房
1977 年 詩集 「がらんどうは歌う」 アボック社
1979 年 紀行文 「ムーンランドへの旅」上・下 編集工房ノア
1981 年 「二人ヨーガ楽健法」 アボック社
1994 年 詩集 「共生浄土」 編集工房ノア
2010 年 「楽健寺天然酵母でパンを焼く」 農文協
2014 年 「楽健法経つき二人ヨーガ楽健法」 五月書房
山内幸子(やまのうち ゆきこ)


1931年 10月2日大阪生まれ
創始者 山内宥厳の妻。
山内宥厳先生と共に、楽健法、楽健寺天然酵母パン普及のために活躍した。
楽健法のルーツとなる、新日本延命学の講座へ参加するきっかけを作ったのも妻幸子で、楽健法は幸子がいなくては、生まれなかったかもしれないと宥厳は没後にたびたび口にしていた。
とてもお洒落で、くるくるのピアスが印象的。いつでも綺麗で年齢不詳の美魔女。
軽快でチャーミングで度肝を抜く、大阪弁の切り替えしで、毒舌でありながらも温かみのある人柄に
楽健法の弟子たちは魅了された。
2000年から始まった、セラピスト講座では料理を担当し切り盛りしていた。
桜ノ宮で長年楽健法教室を開催しており、そこの教室での踏み方は「幸子流」の独自の楽健法の踏み方に特化しており、現在幸子流の踏み方を今も受け継いでいる者は少ない。女性の視点からも深められた幸子流の踏み方も残しておきたい技術でもある。楽健法の奥深さは、夫婦でライバル的な存在で生涯深め合い実践し合った結果である。
著書に 「ふたりヨーガ楽健法」(刊行年不明)
2021年8月12日没 享年90歳
2022年 復刻版 ふたりヨーガ楽健法刊行